セロリが食べられない

何か思ったこととか思ってないこととか。趣味とか学校とか。

性格診断

よくやる性格診断の類。

何か忘れそうだからメモしておこうの回。

(http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm)

 

結果

性格

"過敏性性格です。何事にも苦労性で、あれこれと思い悩み、周囲に気を遣いすぎるのです。上司に対しては勿論のこと、部下や配偶者や子供にまで気を使うのです。人柄は謙虚さを通り越して、卑屈に傾きがちなので、注意が必要です。とにかく、もっと積極的に生きる事が第一です。今後も現在のような生き方を続けて行くと、あなたの本当の実力を社会に示せないまま、一生を終わって仕舞うような詰まらない結果になることも、十分考えられます。この世にたった一回生まれてきたチャンスを100%有効に生き抜く為には、人の顔色を窺うよりも先に、自分の実力を完全に生かしぬくことを考える方が本筋です。"

恋愛・結婚

"好きな相手が出来ても、なかなか好きだと打ち明けられません。打ち明けて成功した暁の喜びを、想像するより先に、失敗したときの絶望的な苦しみが、まず頭へ浮かんでくるからです。自分の愛が受け入れられた時は、生涯を通じて相手の機嫌を取り続けていくタイプです。今のあなたに最も大事なことは、自分と云う者に、もっと自信を持つことです。"

職業適性

"権力に弱いタイプであり、常に権力の支えが必要なのです。権力者に命令されて遣る仕事なら安心して出来るのですが、そうで無い場合は、何だか不安で仕事に身が入らないのです。独創的な仕事をする事は一番無理で、裏方の整理役のような仕事が、一番性に合っているのかもしれません。"

対人関係

"終始受け身の体勢を、どこかで突き崩さないと、生涯下僕的な人間関係に甘んじなければなりません。思い切った発想の転換と勇気を奮い起こすことです。天皇も代議士も貴方も、皆同じ人間です。そこに何等の引け目を感ずる事も無ければ、恥ずべき事も有りません。そう云う社会の仕組に対して、何する者ぞと挑みかかる位の気概が、貴方には欲しいのです。"

 

 結果から

総じて「もっと自信持ってね」的なことを言われた。まぁ、大体合ってる気がする。自分を下げて生きてると保険になるし楽は楽なんだけどね。ただ、現状のままでいいとは思えないので何か手を打たないとですね。

初対面とかあんまり話したことないような人からは「優しいね」 と言われることが多いけど、そう言われることに違和感を感じていた。別に、他人に意地悪してやろうとかそんな意図を持っているわけではないけど、かと言ってわざわざ「優しい」と言われるほどでもないと思っていた。前々から薄々感じてはいたけれど、それは結局「優しさ」ではなくて「人から嫌われたく無いがために張っていたバリア」みたいなものだったのかなと、診断結果からは読み取れた気がする。

 

こういう性格診断をやれば、多少は客観的に自分が分かる部分もあるけど、この性格が先天的なものなのか後天的なものなのか分からないからまぁ難しい。

自分の場合、この自己否定的な性格が後天的であるとするならば次の可能性が考えられた。

  • アスペルガー症候群の可能性。アスペルガーはコミュニケーションを取ること、対人関係の構築や継続に苦労をするために、二次障害として鬱や対人恐怖を起こしやすいらしい。これによって知らず知らずのうちに対人関係からストレスを感じてしまい、自己否定に走ってしまっているパターン。自分はネットで診断を受けたらアスペルガーの可能性が高いと言われた。
  • 昔から自分を否定され続けた結果、生きることに対する障害が多いという状態が当たり前になってしまっていた可能性。人から褒められた記憶より、怒られた記憶、否定された記憶の方が多く残っているのでこの可能性も捨てきれない。

 

何にしても今のままだとただしんどいだけで終わってしまいそうだね。ただ、大人の発達障害は診断が難しいらしいので結構難しいかも。

「こんなことするといいよ」的な意見・アドバイス募集してます。

遅延

僕のTwitter、一定期間が経つと自動的にツイートが消えるようになっている。

理由は「犯罪を犯して捕まったときに、ツイートを晒されるという事態を避けるため」、「死んだときに自分が残らないようにするため」。現実的に考えれば後者の意味が強くなってくる。

Twitterは特に思ってもいないことでも気軽に発信できてしまうのだけど、そんな中でも強く感じていることなんかも発信していたりもする(今文字におこしてみて気付いたのだけど、「死んだときに自分が残らないようにするため」というのは、自分の考えが残ることへの恐れというより、強く思っているわけではなかったり、そもそも思ってもいない発言が残ることに対する恐れなのかもしれない)。

今回は、自分の考えを残そうという意図、もっと言えば誰かに共感してもらえたらなぁという意図を持った投稿(いつか消すかもしれないけど)。

 

 

で本題。

公共交通機関、というか電車が遅延することはそう珍しいことでも無い。

その遅延理由の1つに「人身事故」というものがある。そういったときに

「死ぬのは勝手だが、関係ない奴に迷惑かけずに死んでくれ」

なんて心無いツイートを見かけることがあったりする。

電車が1時間に1本みたいなクソ田舎が地元だから特に遅延の痛さは分かる。

予定が崩れるし、人と会う約束をしている場合は連絡を入れなければいけないし迷惑もかかる、

場合によっては予定そのものを変えなければならない事態になることもある。

遺体を処理するという作業も必要になる。

影響が大きいことも、苛立ちを感じてしまうことも分かる。

 

 

でも、死ぬ人で「線路に飛び降りてみんなに迷惑かけたったろ!www」とか思う人はいないだろうってことも考えてみれば分かる。

「命を失う」に対する対価が小さすぎる。

「多くの人に迷惑がかかる」ということが分かっていればそんな死に方選択しないだろうから、そんなことを考えられないくらい辛い状況だったのかもしれないということも容易に想像できる。

「誰も自分を受け入れてくれない」という感覚から「最期くらい誰かに受け入れてほしい」なんて思いがあるかもしれないということも容易に想像できる。

 

他にも可能性があるだろうけど、実際の事情がどうであれ、そういう可能性がある以上冗談でもそんなこと言えないだろうと思う。

そこを考えられないのはまだいいとして、「迷惑かけずに死んでくれ」とか言う奴が身の回りの人に対して「こっちの気持ちも察して欲しい!」なんて要求するのを見ると、何を言っているのだろうという感じになってしまう。

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 顔も知らない他者と身内という差や状況の違いがあるとはいえ、

「あなたも、少しは人の気持ち察してみてはいかがでしょうか」って言いたくなってしまうよね。

そういうこと言える人って、自分を否定せず受け入れてくれる人の存在のありがたみを分かっていないのだろうと思ってしまう。

「お前もそのありがたみ分かってないだろ」と言われたら否定できない感じもあるのだけど、その辺については思うところも多いし、それを確かめる機会もあったりするのでまた後日まとめます。

 

「"当たり前"にはなかなか気付けない」という言葉の意味が分かったような気がする。

 

もうちょっとやさしい世界になってもいいんじゃないかって思ったり。

文字おこし

何もしたくないと思った時には自分の言葉を吐き出してみようのコーナー。

 

最近異様に焦りを感じているような気がする。それが何に対するもので何で最近なのかは分からないけど、ただひたすら今日だけを生きてきたここ数か月の忙しさが少し抜けたからなのかもしれない。またここからやること増えていくのだけど。

大学の授業をめんどうに感じることが無いといったら嘘になってしまうのだけど、何やかんやサボらずに行っている。だから忙しい。出てくる課題を処理していくだけの日々。たまにやる気を出して早めに片付けたときなんかは、「やったー」なんて喜びながら読みたい本を読んだりしてみるのだけれど、次の日に大学に行ったらまた新しい課題が出てくる。その頃もうやる気は起きない。これの繰り返し。

気づいたら何かに追われている感覚とともに休日を過ごしている気がして、休まっている気がしない。「ここに行ってみたい!」も溜まってはいくのだけど、いつになっても「ここに行ってみたい!」のまま。誰だよ、大学生活が人生の夏休みだって言った奴。

12月末にバンドの関係で行った東京。Suicaの履歴を見たらもう3か月も電車に乗って遊びに行っていないことに気付いた。何をしていたんだろう。半年前なんて休みがあったら近くも遠くもどこかしらに行っていたのに、今じゃ何もしたくないとぐったりして、せめて外には出ようと近所のスーパーで買い物をするだけ。未だに出来上がった弁当を買うということはしていないし、年末年始にインフルで寝込んでいたとき以外はほとんど毎日家から出ていた。そこだけは褒めたい。

ギターもずっと大好きで続けてきて、人生でこんなに続いたもの無いんじゃないかってくらい続けてきて、だけど最近はギターを弾く気力も湧かない日々で、バンドをする度に自分の無力さを思い知らされる感覚もあって、純粋な「楽しい」以外に変なものが混ざってくる。だけど自分以外の人がバンドをやっている姿を見るのは好きで「やっぱりやってみたいな」なんて思うのだけど、家に帰るとそんなモチベーションはもうどこにもない。たまに弾いて「楽しいな」なんて思っても、次の日には課題をやっているかぐったりしているか。

 

ふと冷静になって考えてみる「将来」。「学部卒じゃ将来社会に出ても何もできない、修士は欲しい」とか「院に行ってもっと知識を付けたい」とか、それらしい言葉に「就職したくない」という感情を隠して先のことを考えている。

やりたいこと、行きたい所はいくつもあるのに肝心の「こんな仕事をしてみたい」はどこにもない。どこかに個人スタジオが欲しい、サーフィン、スノーボード、バイクとかに手を出したい、国内外問わずいろーんな場所に行ってみたい。これだけ夢があるのに仕事の夢だけはどうしても出てこない。「こんな仕事したくない」はいくらでもある。「きっと誰もがそうなんだろう、いろいろ試してみて自分に合うものを探していこう」なんて言葉の裏にある不安は見ないようにしているのに目についてしまう。

「年老いて使えない体で生きるくらいなら早死にしたほうがマシだ」というスタンスで「長くても30歳までかな」なんて考えていたけども20歳を超え、「人生100年時代」という言葉とともに考え直さなければいけないのかなんて焦ったりもする。

 

いつか「人間の悩みは『過去への後悔』か『未来への不安』どちらかからのみやってくる。だから今に集中するといい。」なんていうのを見たことがあった気がして、その時はただ「ほーん、なるほど」なんて納得していた。

今まさにそんな感じなのかなとふと思った。『今』を必死に生きてきた過去の自分の積み重ねが生み出したもの、それは己の無力さで、自分に足りないものを考えると多すぎて、未来を想像してもそこに明るさは無かった。でも、悪いところばかり気になってしまっているだけで実は視点を変えてみるだけでいいことなんていくらでもあるだろうし、きっとギターだって純粋に楽しめる。ちょっと視点を変えてみること、それが出来るのは『今』なんだなという感じ。ギターみたいに大好きなものでも、様々な要因で「あれ、楽しくないかも」なんて思ってしまうこともあるのだけど、ネガティブに考えすぎて楽しみとかを逃してしまうのはもったいないなぁと。かと言って難しく考えてしまうのも良くないのでゆっくりやっていこうかなと。今までもそうやって何とかなってきたし。

思えば、必死に今日だけを生き続けてきたここ数か月、外食したときに食べたものは値段にかかわらずいつも以上においしかった。人と食べたから尚更。

 

何が言いたかったんだろう。

赤色のオーブントースター買ったら見るたび燃えてるんじゃないかと一瞬焦る

あけましておめでとうございます。年末年始インフル芸人です。インフル年越しは初めてですね、紅白インフル合戦とか無いんですか、初出場なんですけど。。。

 

2010~2019年の10年間で小中高(高専)大学と環境は大きく変わり、成人もしたりと、自分で選択した・していないに関わらず、全部が変わったんじゃないかってくらい変化してきた。その中で様々な人や物に出会ったり、逆に大切な人や物が無くなってしまったり、そういうことの繰り返し。喜びは沢山あったけど、悲しみも多かった。きっと、この先もずっと続いていくのかなと思うと若干憂鬱な感じもある。生きていれば、2020年代が終わるころには30代に突入している訳なのだけど、その間に自分は多分「社会人になる」というイベントを迎えている(((多分)))。年齢的には結婚とかしてもおかしくないわけだから、2030年の自分とか想像するだけ損なんじゃないかという感じもする。

 

まぁ、色々書きたいネタあるけどメモとか全くしてないから、今回はテーマを設けずにつらつらと…。当たり前の話だろうと何だろうと、もう思いたったことを好きなように書いていこうかなと。

あ、そういえば、タイトルにも書いたようにオーブントースターを買った。今までも一応持ってはいたけど、安いものだから温度調整が出来なくて、食パントーストするだけならいいけど料理にも使いたいなぁと思って買い換えた。「赤色のオーブントースターかっこいいじゃーん」なんて思ってたけど、チラッとそれが見えたときに燃えているように見えて一瞬焦る。今のところは大丈夫。まだ、食パンのトーストと(揚げない)から揚げくらいしか作ってないけど、耐熱皿みたいなのも買ったし今度グラタンでも作ろうかなぁと。しばらくは忙しいからそんなことしてる余裕あるのか分かんないけど。

 

SNSの話

もう誰もが何か1つは、やっているんじゃないかってくらいになってきたSNS、僕もLINE、TwitterinstagramFacebook(もう見てない)をやっていたり。「~~するぞー」なんて意志を持たなくたってメールアドレスとかを登録してしまえばだれでも簡単に利用できてしまう。僕はTwitterから始めたのだけれども、自分の身の回りの人と趣味で語り合えることがほとんどなかったからSNSを通じて遠くにいる同じ趣味の人と繋がれるのは、SNSを使い始めた当初の自分にとって嬉しいことであったりはした。あとTwitter特有のクソどうでもいいネタとかも面白かったり。まぁ、そうやって僕の「友達いない」にも加速がかかるわけで(自害)。そんなSNSもいいことばかりかと言われると、やっぱり問題もあって、今まで散々言われてきたことばかりではあるのだけれども、実体験があるのとないのとでは結構違うような感じもあった。

1つがネットリテラシー。もう言われすぎて「分かってる分かってる」ってなってしまうことなのだけれども、それでも「これって大丈夫なの?」ってなるようなことが多々ある。そういうのを見ていると自分の感覚が若干そっち寄りになってしまうこともあるのでまぁ怖い。自分のネットリテラシーが十分かどうかは分からないのだけれども、周りにそういうことで面倒なことになった人がいたりもしたので、人よりは意識している方だとは思う。まぁ、自分も含め気を付けようねって話。

もう1つは、あくまでも"文字列での会話"でしかないということ。特にLINEであるような気がするのだけれども、文字列以上の情報がないので面と向かって会話するよりも情報量が少なく、会話のテンポも生まれない。だから必要以上に気を遣ってしまっている気がする。簡単な業務連絡程度ならむしろLINEとかの方がいいのかもしれないが、やっぱり面と向かって話すって大切なんだなと実感することが最近多くなってきた。

 

あと、実は何年か前からTwitterで誰もフォローしていないアカウントをこっそり作って、そこに色々な感情を書き出したりしているのだけれども、スッキリしないことが多い。それは、端末を使って書き出しているというのもあるかもしれないけれど、誰も見てくれる人がいないからなのかもしれない。誰にも見られないようにしてるのに「誰も見てくれる人がいない」ってどういうことなのという感じではあるけれど、どこかに「自分の感情に共感して欲しい」という気持ちがあるのかもしれない。難しいね。

 

何を探しているのか

何回も言っているのだけれど、自己肯定感がとても低いんじゃないか疑惑があるから、自己肯定感に関する本を読んだり読まなかったりはするのだけれども、そういう本ばかり探しているからなのか、生きづらさを感じている人に向けたような本って多くあるなと感じた。ってことは、それなりに需要があるってことなんだろうけど、本を読んでまでして生きる意味を求めて、そうでもしなければ人って何を求めて生きているのだろうとふと考えてしまった。楽しい人生とつまらない人生、僕だったら楽しい人生選ぶのだけれども、"楽しい"が生きる理由なのかと言われると分からない。いいことがあると「生きていてよかったぁ」なんて思うけど、そしたらそれ以外の自分は何だったんだろうとか。死後の世界とかよく分からないけど、僕は死んだら無になると思っているから、"楽しい"の途中で後悔を残したまま死んでも結局何も残らない気がしている。そうしたら、生きる意味や理由って何だろうとなった。死ぬ理由というのはもっと明確で、現状が、自分の思い描いていたものよりもつらく、抜け出せる気配もないというのが多分一番多いのだと思う。

「なぜ生きているのか」、考えてみると分からない。もちろん現状で楽しいことだって多い。だけど僕個人としては「死ぬ理由が与えられていないから」というのが一番適切な答えなのかなと思ったりもする。こういうことを考え出すと「なぜ子孫を残して種を後世に残していくのだろう」とかそういう難しい話に行きつきそうだからあんまり考えない方がいいのかな。

 

結論 : 深夜高速は好き。

 

美しすぎる2次元

日本のアニメーションはすばらしい、なんて言われるようになって、もう誰もが何かしらの作品に触れているんじゃないかという時代になっている。そのうち「オタク」って死語になるんじゃないかってくらい。僕自身もそんなに見る方ではないが、面白いと思って観た作品はいくつかある。

んで、その2次元、少し、というかかなり、美しすぎじゃない?という感じがしてしまう。現実世界の良くも悪くも汚い部分が無いというか。風景の描写も美しすぎるし、キャラクターも。いや、2次元ってそういうものだし、作品や観る人などによって追い求めているものは違うし、「2次元だからこそできる描写」があるということも分かる。でも、リアリティがあるほど、その現実との差が気になってしまう部分もあったりはした。僕個人としては、チャー研とかそのくらいの方が見ていて楽しめる気がする。

 

 

やりたいこととか常にいっぱいあるので今年の抱負とかいうほどのものは特にないです。今年も頑張るところは頑張って、楽しむところは思いっきり楽しんでいきましょ。

ぼくがどうしてもにげたかったもの

違和感。ずっと前から感じていたけど最近さらに強く感じるようになったものがある。親子関係とかいうやつである。僕は神の子とかではないので当然親がいる。ここまでこれたのも、今大学に通えているのも親のおかげである。でもその親という存在に違和感を感じるようになってきた。

いつか思い返すときに当時何を思っていたのかとか、参考になればいいねっていうやつ。

 

反抗期

 多分あった。多分。親うぜぇなぁみたいなのはあったと思います。多分。中高生の抱くこの感情は「反抗期」というワードで片付けられるのだと思う。でも、20歳を超えた今でもこの感情が残っている。最近は恐怖を感じることもある。実家で暮らしていた時も親とはほとんど話さなかったし、ご飯とかも自分だけ時間をずらして一人で食べていた。今後仲良くしていきたいとも思わない。

でも、「親子」という関係に対して恨みがあるとかそういう訳では無くて、人から聞く良好そうな親子関係の話は何か羨ましいし、「親とケンカした」という報告ですら「そんなことできるの何かいいなぁ」と心の中で思ってしまったりもする(当人には言わないようにしてるけど)。

そういった違和感みたいなのが、一人暮らしをしてから強く感じるようになった。

 

毒親

たまに聞くワード。いつからそのワードを意識するようになったのかは覚えていないのだけれども、ネットで調べたりしたことがあった。「虐待をする親」、「強い制限をかける親」、「いくつになっても過干渉をする親」、「心理的に支配する親」、、、色んな親がいた。

うちの親は「勉強を頑張っていい大学を出て~~~、だから勉強を頑張りなさい」みたいなことを言うタイプじゃないし、何なら今僕が大学に通っているのも、我が家の金銭事情に余裕がないと分かっていながら(僕の方から)無理言ってやらせてもらっているところもあるので毒親ではないと思っていたのだが、調べていく中で自分の親にも当てはまるのではないかという部分があったりもした。YouTubeにあった毒親診断みたいなのを見ていて途中で再生するのを止めたくなるようなものがあったりもした。

具体的には、コントロールされている部分があるような気がした。親は、ああしなさい、こうしなさいと僕の選択を奪っていくタイプではなかったが、僕は、親が言う「こっちの方がいいと思うなぁ」というワードから押し付けのようなものを感じることが多かった。それは僕のメンタルの弱さからくるものなのかもしれないし、親自身も押し付けているつもりではなかったと思う。でも色々をトータルした結果、そう感じてしまったのもまた事実であったり。

あとあんまりいい思い出が頭に残っていない。これこそ自分のメンタルの弱さが原因なんだろうけど、親との記憶はどうしても、怒られて泣いている記憶ばかりが出てくる。昔何か悪いことをした時に暗い部屋に閉じ込められたことがあるのだけれど、何で怒られたのか全く覚えていない。きっと自分が悪いことをしたからなんだろうけど、「こういうことをしたから怒られた」という記憶より「とにかく怖かった」という記憶しか無い。何か書いてて辛くなってきた。。。

中学を卒業してからずっと軽音をやっていて、もちろん音楽やギターが好きなのがあるのだけれども「親の見ていないところで自分を表現したかった」というのもどこかにあったのかなと後から思ったりもした。だからライブハウスとかでライブをするなんてことは一度も報告したこと無かったのだけど、あるとき「今度ライブやるんでしょ?頑張りな」なんて言われたことがある。今思い返しても怖いと思うくらいの出来事だった。

ひょんなことからTwitterのアカウントがバレていることを知って、それらしいアカウントをブロックしたこともあった。それがきっかけでTwitterはずっと鍵をかけていた(ここ2か月は事情があって鍵を外しているけど)。

 

実家に帰りたくない

僕は今実家を離れて一人暮らしをしているのだが、実家に帰りたいという感情が一度も湧いたことが無い。一度だけ行かなければならない用事があってから帰ったが、それ以降一度も実家には行ってないし行きたいとも思わない。それ以降地元に行くこともあったが実家には行ってないし親にも報告してない。そのときは人の家に泊めさせてもらった。地元で会いたい人とかはいるのだけれど、なんせ実家に行きたくないので結局会えてなかったりする(ごめんね)。行くときはどこかで宿を取ろうかと思っていたりするくらい。

一人暮らしをする前にも住み込みバイトをしたり海外に行ったりで何週間か家を離れていたときがあったりしたのだが、そのときにも「家に帰りたい」と思うことは無かった。むしろ帰りたくなかった。

ポジティブに考えれば、独り立ちできたと思うことも出来るのだけれど、「家に帰りたいと思えない自分」に対して寂しさを感じることもあったので多分独り立ちとは違う気がする。

 

自尊心の欠如

これは本当によろしくない。ただ、これを親子問題に帰結させて良いのかという部分もある。

どっかにも書いた気がするが、僕は自己表現をすることが苦手である。そういうことが出来ない理由って色々あって、先天的なものも大きいのだろうけど、「意見を否定され続けてきた(ような気がする)自分」がいるのもあるのかもしれない。「あれがいい」と言えば「いや、こっちの方がいいぞ」と言われ、「こうだと思った」と言えば「屁理屈だ」と言われ、段々と自分に自信が無くなっていき、考えることを止めてしまった自分がいるのかもしれない。自分の発言がすべて正しいと思っているわけではないし、間違った発言や屁理屈はあったのだと思うけど、何が間違っているのか分からないうちに否定された経験が、自分の奥底には残っているのかもしれない。「人に求めすぎでは」と言われればその通りなのかもしれないけど、だったら誰を頼ればいいんだよって思ってしまう。

100点をよく取っていたテストで100点じゃない点数を取ったときに「今回は100点じゃないんだw」なんて笑われたことがある。言った相手が友達だったり先生だったりするなら「見返してやろう」くらいの気持ちになれるのかもしれないけど親に言われてしまうとどうすればいいのだという感じである。お前がやってみろよ、なんて思っていたりした。そんなこと言ったら「何様のつもりだ」なんて言われるだろうし言わなかったけど。きっと誰かに認めて欲しかっただけなんでしょう。

間違ったことをしていたらそれは正していかなきゃいけないだろうし、全肯定して欲しかったとは思わないのだけど、頑張ってきたことだけでも認めて欲しかったのかもしれない。何か書いてて悲しくなってきた。

おかげで否定される恐怖から自己開示とかはほとんどできないし、友達なんかはほとんどできなかった。正確に言うと「休日に一緒にご飯食べたり遊んだりする友達」がいない、別に避けているつもりはないけど"クラスメイト"は"クラスメイト以上"にはならないし、"バイト先が一緒の人"は"バイト先が一緒の人以上"にはならない。人からは「他人に興味無さそう」と言われたりもしたし、親からだって「友達いないだろ」なんて言われる始末。そんな自分のことでも好きになってくれる人はいるみたいなので恋人が出来たりすることはあるのだけれど、僕にとって縋ることが出来るのはその人だけなのでかなり依存的になってしまう。そのうえ友達がいないから人との接し方は分からないし、自己開示もできないので多分相手にとっては苦痛なんだと思う。恋人がいたことも、きっと親は知っているのだろうけど、それを報告したことは無いし、したくもない。仮にこの先結婚するだなんてなったとしても、相手を親に紹介したくないなんて思ったりもする。

 

 

そんな訳で色々考えた結果「親とは縁を切ろう」と最近思うようになった。独り立ちとは違ってきっぱりと。とは言っても今はお金をもらって大学に通わせてもらっている身なので、少なくとも就職してからになるだろうし、仮に縁を切るとしても最低限大学の授業料だけはちゃんと返してからにしようと考えているので10年先とかもっと先になると思う。

大学(もしかしたら院まで)行かせてもらって最後に完全に消え去るのは人としてどうなんだってことだし、そんな甘くないことであることも分かっている。だからやるんだったらちゃんと考えなきゃいけないし、覚悟も決めなきゃいけない。それでも、今後自分の人生の決定を報告したくないと思っていたりするので難しい。

 

こうやって文字におこしてみるとただメンタルが弱いだけだし、何か長文でそれらしい言い訳をして自分から逃げてるみたいで嫌だな…。今の自分は縁を切ろうなんて考えているけど、いつか見返したときに「このときの自分は間違ってたな」って思えたならそれはそれでいいのかも…。

社会人大学人見知り学部 受験予定

「人の声」というものが好きで今年に入るか入らないかくらいの時期からラジオをよく聴いたりする。

いや、テレビでもいいのだけど、やっぱり聴覚のみで情報を得る感じが好きだったりするわけで…。

ラジオ番組の中でも、お笑い芸人の番組が好きで、「オードリーのオールナイトニッポン」もその一つである。オードリーは、お笑い番組とかがめっちゃ盛り上がっていた時期(2008年とか?)にテレビに出始めた印象があるので、僕みたいな20歳前後の人で知らないという人は多分いないんじゃないかというくらいだと思う。とは言っても僕はその時期特別お笑いが好きという訳でもなかったので、オードリーに対して特別な思い入れとかは無かった。だから、聴こうと思ったのも「ネットで調べたら面白いといっている人が多いから」ぐらいの理由であった。

深夜に、付き合いの長いコンビ2人でやっている番組だからか、聴いてみると何かやりたいようにやってるという感じがして結構面白かったりした。だから今でも聴いている訳だけだけど。ラジオのそういうところも好きだったりする。

 

そんな中でオードリーのことを調べたりすると、若林さんが何冊か本を出しているということを知った。それで何となく気にはなっていたので、最近そのうちの「完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込」という本を買った。もともと雑誌か何かに連載していたエッセイみたいなのに加筆したりして書籍化した本らしい。こういうタイプの本を読むのは初めてだったのでどう読めばいいのかよく分からなかった。

僕自身、お笑いの世界を目指しているわけではないので、「これを読んだら、この人がどのような人生を歩んできたか分かって、よりラジオとかを楽しんで聴けるんだろうな」くらいの軽い気持ちで読んでみたら結構ハマってしまって、あっという間に読み終わってしまった。

上手く言葉にできているか分からないけど「お笑い芸人としての人生」というより「一人の人としての人生」を見ている気がした。自分とは違う考えを持って人生を歩んできたはずなのに、若さ故に感じることとか、どこか自分と重なる感じがした。

 

「本を読んでの感想」と見せかけて自分語りをする質の悪い記事。 

 

中二病

読んでいたら「若林さんは中二病なの?」みたいなことを聞かれている場面があった。

世代のせいなのか分からないけど「中二病」と聞くと「俺は選ばれしもの…」とか「左目が疼くぜ…」とかそういう極端に痛いものを想像するので、「流石に自分はそういうものないかな」とか「若林さんもそういう道を歩んで来たのかな」とか思ってたりしてたのだけど、中二病って(思春期の子供らしい)背伸びをしがちな発言とか、自意識過剰な考えとかそういうものを指すらしい。それを知ったとき、何かが刺さった気がした。あれは多分心当たりがあるのだと思う。

「嫌われたくない」という感情は誰でも持っている気がするが、自分の場合それが極端すぎる気がする。自分の考えとかを否定されるのを極端に嫌い、自分の意見は言わずただ従うだけということが多かった気がする。家族にも自分の意見はぶつけないので、そういうことをできる人は本当にいるかいないかぐらいである。ほとんどの人は存在丸ごと否定するようなことはしないだろうって分かってるはずなのに、そういうことを考えてしまうあたり、やっぱり分かっていない自意識過剰なのだろう。そういう誰かに従うだけの人生の方が楽に感じてしまっている自分もいて、いつからか考えるということもしなくなってしまっている気もしている。

そのせいなのか友達は少ないし、「人を好きになったこと無さそう」と言われたこともあるし、親からも「お前友達いないだろ」と言われたこともある。確かに友達は少ないし、大方の人には興味も無いのだけど、人を好きになったことはある気がしていて、でもそれも自分の思い違いだったのかなと思ってしまうことがある。数え切れるほどではあるけど少なくとも自分の周りには、憧れというかこの先も関わっていきたいなと思う人はいるし、でもそれもあくまでも一方的な感情だし何か自信が無くなってくるという負のループに入ったりする。自己表現の練習を始めたのも、そんなことを変えたかったからというのが大きい。

 

別に本を読んで何もかも変わったということは無いのだけど、「受け入れられたいけどそれを隠そうとする」若き日の姿がありのままに書かれていて、そういうのを読んでいたら何となく自分に対して素直になれて、自分という存在が少し見えた気がして、自分という存在を少しだけ受け入れることができた気もして、何となく心が晴れた気がした。何となく。

 

存在理由

"自分"という存在がある必要はないと思うことが多い。やめればいいのに「自分の代わりはいるし」とかそういうことを考えてしまうことが多い。そうやって自分の存在理由のハードルを下げて何とか自分を特別だと思おうとする自意識過剰な考えもある意味では中二病なのかもしれない。

けれど、この世に存在する理由は最初からないらしい。なくても存在していていいらしい。何となく楽になった。それだけなのだけど。

 

 

他にもまぁ色々感じたこととかあるのだけど、何か変な方向に脱線してしまった気がするのでここで終わり。社会人大学に入るのはいつになるか分からないけど、もうちょい素直になれるといいね。

 

 

懲役5年を終えて

質問箱で運営からの質問が来ないようにしたら質問が来なくなった(完)。

昔からそういうところがある。自分からは発信しないくせに質問ばかりを求める。冷静に客観的に見てみればこんな奴に聞きたいことも無ければ関わりたくも無いよなって思う。やはり自分という生き物は好きになれない。「特定の誰か」とかそういうのではなくて誰に対してもこういうことをしてしまう。そんな風になるような出来事みたいなものに心当たりはいくつかあるのだが、嫌な思い出だからあんまり書きたくない。

 

さて本題。

タイトルに「懲役5年」とか付けているが別に悪いことはしてない…前科持ちではない…。じゃあお前は一体何の話をするんだよというと「高専」というところに通っていた頃の話。

今年の3月に高専というところを卒業した僕はとある大学に編入して、現在大学3年生をしている。

嫌な自分を変えるための自己表現の練習も兼ねて5年間の高専生活と、4月から送っている大学生活の中で感じたことでも書いていこうかなと。

毎度のことながら完全に主観での話。あと、今回言いたいのは「高専はいいとこだからみんなも高専行こうな」ということでも「高専はクソだから行くな」ということでも無く、ただの感想的なもの、自分語り。

進路に悩んでいる人が判断材料の1つとして使うのも勝手ですが、自己責任でお願いします。「お前の言ってること信じたらめっちゃ損した」とか言われるの嫌だもん。。。

高専について書くブログとかだと「留年」とか「進路変更(退学)」とかをテーマにすると興味を持ってもらえそうな気もしますが僕にはそういう経験がない…。成績いい方だった。

 

そもそも高専って?

これ読んでる人で「高専って何よ」ってなる人はいないと思うが、簡単に説明すると高専は「高校と短大が1つになったもので早いうちから(主に工業系の)専門的な勉強ができるとこ」だと思っていていいかと。便利な時代です、詳細はググりましょう。

 

何となく振り返る

高専進学まで

僕にも可愛い可愛い中学時代というものがあって…。バスケ部に入ってた。朝練はほぼ毎日遅刻してた。そんくらいしか書くことないですね。あ、部活入ってすぐの大会は背番号15で、それ以降はずっと8だった。あと趣味の範囲だけどほんのちょっとだけギターやってた。成績はいい方。国数英理社の5教科の話すれば多分学年で1番成績良かった(ドヤ顔)(学年40人)。

当然3年生になると進路を考えることになるわけで。高専に限らず、進学するにあたっては、「将来こうなりたいから」みたいなのから「家から近いから」みたいなのまで何かしら動機のようなものはあると思う。僕の場合は「受験のチャンス多いし、進路が決まるのが早いから」という理由がほとんどだった。他にも、やりたいことないのに高校行ってから進路選ぶのは無理だろうなと思ってたり。あとは就職がいい感じとか、大学に編入するにしても普通に高校から行くよりもトータルで安くなるかもみたいなことを聞いた(実際はよく分からん)。

すべての高専に当てはまる話なのかどうかは知らないが、僕が進学しようとした高専は学校長推薦選抜と学力選抜の2回受験のチャンスがあり、そのどちらも公立高校の後期選抜よりも早い時期に実施される。学校長推薦については受験をするための条件があるが、その条件は満たしていたから合計で3回の受験チャンスがあった。加えてその高専は僕の通学可能範囲の中でも2番目くらいに偏差値が高いとされていたのでこれはもう受けるしかねぇだろとなるわけです(普通高校高専を偏差値だけで比べるのはナンセンスとか言わない)。

高専受験をした以上、理工系に全く興味無かったというと嘘になる気がするが、やりたくない職業がいっぱいあってそれと比較したら全然いいかぐらいの感じだった。やっぱり今振り返ってみてもクソみたいな志望動機だなと思うが、当時中学3年生だったということを考えるとこんなもんか…と開き直ってるところもあったり。

 

高専生活

そんなこんなで受験した高専に無事合格してキラキラ高専生活がはじまったわけで。環境が大きく変わるから当然期待とか不安とか色々あるわけだが、入学前とかに「(所属学科の)レポート多いし、留年する人も…」みたいなことを聞かされてたんでまぁ不安でしたね。小心者なので、最初のテストを頑張ったのですが、結構いい成績がとれて安心。こうやって思い返してみると、ここで「じゃあもういいか」ってならなかったのは良かったかなと。スタートって大事みたいですね。僕は真面目なので成績はずっといい方を取り続けてきた。 

卒業後の進路としては、ほとんどの人が就職、専攻科への進学(懲役2年プラスみたいなもの)、大学3年次への編入のいずれかをする。年度、高専、学科によりけりだと思うが、うちの場合は大体就職進学半々くらい。僕の場合は、働きたくなかったのと、成績良かったのと、働きたくなかったのと、まだ学生していたいなと思ったのと、働きたくなかったのとか諸々で大学への進学を選んだ。

部活はバスケ(中学でやってた)、陸上(興味あった)、軽音(ギターやってた)あたりを考えていたが運動部入ってやっていけるかなとなって結果軽音に入った。実は吹奏楽部の体験入部みたいなのにも行ってた(謎報告)。

 

そして気になる恋愛できるかどうか、みんなここ見に来たんでしょ????まぁ、結論から言うと出来ないことはない。ありがたいことに僕にもそういうのありました(イキリポイント)。理工系の学校でやっぱり男女比は偏りがあるので高校ほどという訳でもないと思うけど…。どうしても学校内がいいってなると少し難しくなるかもしれないけど外に出ればいくらでも機会はあるわけだし…。

まぁ高校生の青春に対する憧れみたいなものはあったが、自分が高校に行ってたとしてそういうイベントが起きたのかといわれると甚だ疑問である。

 

ウェイ陽キャパリピ大学生

冒頭でも行ったように今は高専を卒業して某大学で学部3年生をしている。初めての1人暮らしだけど、大学は割と自由なイメージがあって、やっぱり不安と期待があった。でも何とかなる気もしてたから今回は期待の方が大きかった。

大学は楽しいし、中学時代に朝練遅刻常習犯だったくせに割と出席率高いし今のところは何とかなってはいるけど、まだペースがつかみきれてないのとか、取っている授業が多いのとかで若干将来のことを考えている余裕がない気がしている。入ったときは「院進しよう」なんて思ってたけど、最近は「あれ、自分は何をしたいのだろうか」と思うことが多い。もともと興味ある分野とか業種とかもそんなに無かったから夢を失うとかそういうことは無いのだけど。

夏はインターン行かない予定だし夏休みとか使ってそういうことも考えないとなとは思う。後期は授業数少なめにしてるし、大体のペースもつかめてると思うから少し余裕出ると思うのだが…。

大学に通っていて思うけど高専って全然悪いところじゃないし、むしろいいところな気がした。もちろん学校や授業に対して何を求めるのかによると思うけど、授業でやっていたことは決して無駄ではなかったのかなと感じる。研究の色々とかその辺はまだ研究室に所属していないから分からないけど。

軽音系のサークルに入ったのだけど、学年に関係なく入った年度で世代分けがされるので1、2年生からもタメ口で話しかけられるのは面白い、あんまりお堅いの好きじゃないので。バンドは少しやっているけど、さっきも言ったようにあまり余裕が無いから正直ギターはほとんど弾けていない。

 

 

 

 

別に高専に進んだことを後悔したことは無いけど、改めて振り返ってみると自分は高専という特殊なところに進んで良かったんだなって思う。結果論だけど、合う合わないとかでやめていってしまう人もいたりするところだから尚更思う。

高専では高校の学年のときに大学の学年の人と関われてすごく刺激があったし、大学は総合大学だから文系の人とかとも関われて結構面白いし。

でも、高専にしても大学にしても自分をもうちょっと発信できるようになっていればもっとおもしろいのだろうなと思うしやっぱり変わりたいですね(いつもの着地点)。